死にたいが癒えない

死にたいが癒えません。

そんなとき、あなたはどうしますか?

この死にたさはいつかは消えてくれると私は知っています。しかし、その死にたいはまたふとした瞬間に顔を出す。心の奥深くに押し込んで、鍵をかけて閉じ込めたと思っていたのに、また、今回顔を出しました。もう出てこないと思っていたのに出てきました。

 

今回の死にたいは一体いつになったら消えてくれるのでしょうか。

もう20歳にもなったのに、いじけて、心の中で暴動を起こしてて、どうしようもなくて、そんな自分が恥ずかしいです。でも何歳になっても死にたいは癒えてくれないんだなと想像がつきます。それが普通なのでしょうか。それとも私だけなのでしょうか。

私は私のことしかわからないので他の人もそうなのかどうかわかりません。

 

今日のブログでは今回顔を出した死にたいについて書こうと思います。

 

私が死にたいとき、その原因はだいたい人間です。まあ社会の中で生きていたらあり前ですよね。人間と関わらずに生きてはいけない。だってわたしもまたどうしようもなく人間なのですから。

 

私は現在大学一年生の20歳ですが、生まれてこの方彼氏ができたことがありません。それを私は自分に魅力がないからだと思って生きてきました。顔も可愛くないし、服装も可愛い系が好きなわけではない、性格も可愛くない。そう、「かわいい」人間ではないのです。男子は可愛い女の子が好きです。可愛いは正義なのですから、当たり前です。だから私はだめなんです。

そこで最近決めたことがあります。この先も私は彼氏ができないと仮定し、結婚もできないと仮定し、生涯「ひとりで」生きていくと決めたのです。こんな奴が結婚できるわけがないし、仮にもし結婚できたとしてもうまくいくわけがない。私は孤独を好む人間です。誰かと足踏みをそろえて生きるなんてどう考えても無理なんです。けど実際はとんでもなくさみしがり屋でかまってちゃんなのを自覚しています。人に「大丈夫?」って気にかけてもらいたいのを知っています。めんどくさい人間なんです。

全てを自立させて自分のすべてをひとりで受け入れて生きていくと決めたんです。経済的にも精神的にも全てを自立させて誰にも頼らず依存せずに生きていくと決めたんです。誰かに認められたいとか肯定されたいとか、そんな承認欲求ではなくて、自分のことを好きになりたい、自分で自分を認めてあげたいという気持ちが強くなりました。だから自分がなりたい自分になるために頑張りたいと思いました。「自己実現の欲求」がいちばん強くなったのです。

自分がなりたい自分とは何か。私はずっと音楽が好きです。音楽が大好きです。誰にも言えないけど小学校4年生の時の将来の夢は「路上ライブ歌手」になることでした。小学校の授業で将来の夢を書かなければいけない場面があり恥ずかしながらも「路上ライブ歌手」と書いたのです。それを見た先生はクラスのみんなの前で発表させようとしました。(たしかその時ちょうど授業参観だった気がする。)小学生の時生粋の恥ずかしがりやだった私はもちろん発表することを全力で拒みました。まあとにかく小学生の時から歌が大好きだったんだなあと思います。大学生になった今、自分はなにをしたいか何が好きなのかを改めて考えた時それは「歌」でした。なんか、歌手になりたいとは若干違います。歌をやりたい、表現したい、のほうが自分の気持ちにあっている気がする。私はとても繊細な人間であると思います。人と関わっているときの空間の雰囲気とか、裏にある本当の気持ちとか、意図とか、根本的なものをなんとなくわかってしまう。そしてそれがわかってしまうからこそ大変落ち込むこともあります。だから生きていて日常的に「思うこと」がたくさん出てきて、どこにも行き場のない気持ちをLINEの私しかいないグループ「歌詞メモ」にそっと書き留めておくのです。私はただ歌を歌いたいだけじゃなくて自分の心の内を表現したいのです。自分で曲を作りたいんです。自分を表現したい。しかし日常的に歌詞メモにいろんなことをとどめてはおくけれどそれを曲として形にする作業が全然できていません。春休みに入って時間に余裕ができたので週に2曲はつくるという目標を決めました。しかし春休みになってもなお全然曲を作れていません。だからこのままじゃいけないと思ってギター持ってカラオケに閉じこもりに来ました。それが今です。しかも今精神状態超悪いし家にひとりで閉じこもっていたらまじでもっと病みかねないしカラオケに来ました。それで曲作ろうとしました。けど全然だめなんです。作れないんです。私には才能がない。才能がないなんてとっくにわかってます。けど追い打ちをかけることがもうひとつ。私は努力もできないんです。めんどくさがりやで飽き性、やらなきゃいけないことをやるのが大嫌いです。才能もなくて努力もできない。これじゃあどうしようもない。何がなりたい自分だ、何が夢だ。努力できる人間は強い。努力できる人間は素晴らしいんです。自分には、なにもない。無能で何者になることもできない人間。実際そうです。もうそんなのとっくにわかってる。けど認めたくない。認めてしまったら、誰も認めてくれる人なんていないのに、自分で自分を認められなかったらいったい誰が認めてくれる…?私はなにと戦っているのかもはやわからないです今。

 

でもね、私は世渡り上手な人間でもない。男子に好かれるようなあざとい女の子でもないんです。私の、女の子の友達がとんでもなくうらやましい。一番仲が良くて近しい友達にもついに劣等感を抱き始めたのかと、自分のことがもっと嫌いになりそうです。やっと最近自分のことが好きになれた気がしたのに。やっと最近強くなれた気がしたのに。その友達も自己肯定感が低いとは言うけれど、自分で気づいていないだけでとっても魅力的で可愛い女の子なんです。こういう女の子が男子に好かれるんだなって思います。これは皮肉でもなんでもない。ただ羨ましく、事実としてそうなのです。つい最近、男子3、その女の子の友達、私、の5人で遊んでた時に、思いました。ああ、私って本当にかわいげが無くて不器用な人間なんだなって。かわいいって得です。男子にちやほやされる。奢ってもらえる。奢るまではいかなくても「女の子」だからっていう理由であんまりお金を出さなくてもいい。わたしもそんなにお金出さなくていいんだよと最初は言われたけど「申し訳ないから」って言ってちゃんと割り勘でお金出してきました。それでつい先日貯金の話になって「バイトしていないのになんでこんな遊べるの?」って言われて前にバイトしてた時にためたお金があるの、今は自由に使えるお金が30万くらいあるって言いました。こういうところがかわいげがないんだなって思いました。女の武器を分かっている女はおとなしくおごってもらうんだなって思いました。男は金、女は愛嬌?たしかにそうかもしれないと思いました。けど私は愛嬌もないし、可愛く振る舞うこともできないんですよ。そんなことしたら本当の自分を否定しかねない。ていうかそんなことできない。男友達は私のことを「かっこいい」というけれど、わたしはかっこよくもない。強くもない。ただただ弱く脆い人間なんだなって心の底から思いました。

 

私は病んだ時、全てをTwitterにぶちまけます。基本人に相談しません。人に相談したところでなにも解決しません。わたしはそもそも遊びに自分から誘わないし、自分から誰かに電話をかけることもないです。全部自分でためこんで自分で消費する人間です。人を頼ることができない人間なんです。したくても、できない。さみしいから、聞いてほしい話があるから、気軽に電話をかけることができる、素直で正直な人が私は羨ましい。人に相談するということはその人の時間と労力を奪うことになる。こんなゴミみたいな私の話なんて誰も聞きたくはないでしょう。だから全部Twitterに吐き出します。私のこころの唯一のは吐き出し口がTwitterなんです。Twitterでは吐き出しきれなかった結果今ブログに起こしています。結局Twitterに吐き出したりブログに書いたりするっていう子とは誰かに自分の気持ちを見てほしい、わかってほしい、なぐさめられたいってことなんですよ。ほら、かまってちゃんでしょ?今回もTwitterで吐き出していた結果、おそらくその女の子の友達に嫌われました。嫌われたというか呆れられた?LINEがなんかそっけなくて冷たい感じだったので。私は、病んでるときに友達を頼ったことがそもそもそんなにない。というか頼り方を知らない。病みついを見た友達は「なんで私を頼ってこないんだろう?なんで私に相談してこないんだろう?私ってそこまで仲いいって思われてないのかな」なんて思っているのが前々から薄々となんとなくわかってます。勘違いかもしれませんが。私としてはいつも「大丈夫?」待ちをしている。大丈夫?ってひとことでいいからLINEが欲しい。ほら、めんどくさい人間でしょ?私が楽しんでいると「〇〇が楽しんでくれて本当にうれしい!」って言ってくれるほんとに優しくて大好きな友達にもしかしたら嫌われたかもしれない。呆れられたかもしない。こんなゴミくそな自分のせいで。それでまたさらに自分のことが嫌いになる今現在です。

 

私は孤独を好む人間ですなんてどっかに書いたけど、実際はさみしがり屋で弱いの知ってます。本当は誰かにかまってほしくて、私が閉ざしているシャッターを突き破ってくる人間をずっと待ってるんです。本当にめんどくさい人間なんですよ。

 

人生常にアンビバレント、矛盾の連続かもしれない。葛藤ってこころに抱える矛盾のことでしょ?それを受け入れて生きていくしかないんですかね。

私はもしかしたらもっと自分のめんどくささ全部押し付けるくらいに人を頼ったほうがいいのかもしれない。なんかこころのもやもや全部書いてたらすっきりしてきました、今。

 

わたしが死にたい原因は、自己実現の欲求も満たすことができない、普通に生きることもできない。生涯ひとりで、自分のすべてを受け入れて生きていくしかない。しかし最近目の当たりにした自分の愛嬌のなさにさらに落ち込んだ、という話でした。

 

もう何者かになろうとするのやめようかな。ただの人間なんだって認めればそれでいいのかな。でもそれだと自分のこと認めてあげられないんだよな。もうこの気持ち全て受け入れて生きていくしかないのだろうか。人生はアンビバレント。しょうがないよね。